工学部百周年記念会館落成祝賀会・懇親会での芦田成生氏のスピーチ・・・その1
「私の南極と宇宙」の題で、ブログに連載されております芦田氏の工学部百周年記念会館落成祝賀会・懇親会でのスピーチをご紹介いたします。
【工学部百周年記念会館落成祝賀会・懇親会での芦田成生氏のスピーチ・・・その1】
日 時:2010年10月9日(土)
会 場:グランドホクヨウ米沢
ご紹介いただきましたW39の芦田です。このような晴れがましい場所において、工業会からスピーチを依頼され、恐縮しています。私達昭和39年卒業組が入学した年が、まさしく母校創立50周年でした。いただいた記念バックルは、今もあります。
本年は、5月に開催されました母校創立100周年記念式典に続き、本日は総会ならびに創立100周年記念会館落成披露、おめでとうございます。
私のプロフィールを簡単に紹介しますと、確か電子工学科が誕生する予定の昭和35年電気工学科入学者は、70名ほどだったと思います。予算の都合で電子工学科ができず、残念な思いをしました。1年生の教養課程のときは、機械工学科の一部の人達と同じクラスで学んだ思い出があります。昭和39年(1964年)に電気工学科第2コースを卒業し、明星電気に入社。明星で宇宙開発部門に配属されて、10年間東大宇宙研のロケット観測に従事しました。その間に南極越冬を2度経験し、その後宇宙開発事業団(NASDA)に移り、トータル約40年間宇宙開発の仕事に従事しました。その年月の間に、NASDAではW23小泉深吉さん、宇宙研、NASDAでは、W36今村宏さんにお世話になりました。W39我孫子健一君とは、内之浦で一緒でした。