~「私の南極と宇宙」・・・その386~
昭和39年電気工学科卒業 芦田 成生氏寄稿
氏は、第11次・14次南極越冬隊ロケット打ち上げ実験隊に参加なされました。
「私の南極と宇宙」(その1~385まで掲載済み)。
引き続いて宇宙開発の関わりを掲載致します。
<竹崎から見たN発射点>
<宇宙開発事業団(NASDA)時代(5)>
Qロケット計画とは、科技庁宇宙推進本部が全段固体の4段式ロケットで、高度1000㎞、軌道傾射角70度で85㎏級の衛星を打上げる予定であった。当時開発が進んでいたMロケットをベースに1段目を直径1.4mから1.6mにし、固体燃料の増量を計画した。2段目も固体で、3段目が液体ロケット、4段目は固体ロケット。全長28mであった。Qロケットは旧Nロケット(静止軌道に100kgの衛星を打上げる能力を企画したロケット)の前段階の実証機として計画された。Qの名称は、Mの次に旧Nが計画され、次はO,Pと続くがこの記号は宇宙研が既に使用した実績があるのでQになったと私は思っている。しかし1段目の3分の一モデルの燃焼試験後に、開発が間に合わないとされ、宇宙開発事業団として発足していた当時の島理事長(東海道新幹線の生みの親、当時の国鉄の技師長)が決断して、米国からの技術導入に踏み切った。基盤になったのはマグドナル・ダグラスのやや古い形のミサイル「ソーデルタ」であった。最初の数機は一段目、固体補助ロケット、三段目ロケットシステムは輸入して、後に一段目、固体ロケットはノックダウン方式で国産化することで決着した。三段目ロケットシステムは、H-Ⅰロケットまで輸入であった。2段目は旧N、Q計画で開発していた液体ロケットを使用した。