~「私の南極と宇宙」・・・その404~
昭和39年電気工学科卒業 芦田 成生氏寄稿
氏は、第11次・14次南極越冬隊ロケット打ち上げ実験隊に参加なされました。
「私の南極と宇宙」(その1~403まで掲載済み)。
引き続いて宇宙開発の関わりを掲載致します。
<うめ1号>
<宇宙開発事業団時代(23)>
衛星「うめ」が打上げ後3ヶ月ほどでバッテリーの絶縁不良で通信が途絶えた。太陽電池は働いているから日照時は衛星が電波を出しているはずだとして、推定軌道へアンテナを向けてめくらコマンドを打っていた。そのころ、NASDAでは労使交渉がうまくいってなくて、残業拒否の状態であった。増田追跡管制所で運用していたが、管理職が所長、課長2人しか居なくて、夜間運用に差支えた。そこで、私と大山さんが助っ人で参加さされた。衛星の運用は初めてであったが、残業拒否の職員が手取り足取りで教えてくれて、プログラム運用すれば何も手を出す必要がなかった。衛星は再び蘇えりはしなかった。