~「私の南極と宇宙」・・・その417~
昭和39年電気工学科卒業 芦田 成生氏寄稿
氏は、第11次・14次南極越冬隊ロケット打ち上げ実験隊に参加なされました。
「私の南極と宇宙」(その1~416まで掲載済み)。
引き続いて宇宙開発の関わりを掲載致します。
<ロケットの歴史>
<米国NASAの思い出(2)>
本社の衛星担当者達は数か月まえから射場に派遣されていたが、我々種子島からは打ち上げ3週間ほど前にフロリダに行くことになった。最初の打ち上げは、気象衛星で打ち上げロケットはデルタ2914型132号機で、7月14日19時39分(日本時間)であった。「ひまわり」と名付けられた。この衛星はヒューズ社製で、米国では実績のあるものであった。「ひまわり」は翌年昭和53年4月6日から運用が開始され、TVの気象予報の番組にも登場し、日本中で「1億総天気予報士」と言われるようになったぐらい、お茶の間の人気者になった。
(筆者注)気象衛星は世界中の気象を監視するため、WWW(世界気象機構)が米国2基、ソ連1基、欧州1基、日本1基の分担で、5基の静止衛星を配置することを決めた