春爛漫・角館の桜・ソメイヨシノは満開、2012.5.1・・・20
~春爛漫・角館の桜・ソメイヨシノは満開、2012.5.1・・・20~
松川堤防は朝日和、満開の桜を愛でた後、春爛漫の米沢からみちのくの小京都と呼ばれる角館へ向かう。
角館の玉川の堤防に咲くさくらを見、桧木内川堤のさくら並木遊歩道をそぞろ歩きする。
武家屋敷の通りの枝垂れさくらは数日遅かった、と言うことはソメイヨシノは満開だった。
≪桧木内川堤のさくら並木遊歩道≫
<横町橋から古城橋へ>
桜咲く
桧木内川
風光る
撮影:2012.5.1(火)
<桜を詠んだ和歌>
世の中に 絶えて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし
在原業平
ひさかたの光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ
紀 友則
ねがはくは 花のもとにて 春死なむ
そのきさらぎの 望月のころ
西行
桜花(さくらばな) 今ぞ盛りと 人は言へど、
我れは寂しも 君としあらねば
大伴池主
匂へどもしる人もなき桜花
ただひとり見て哀れとぞ思ふ
慶政上人
<桜を詠んだ句>
さまざまな事 思い出す 桜かな
松尾芭蕉
よるとしや 桜のさくも 小うるさき
小林一茶
散る桜 残る桜も 散る桜
良寬和尚の辞世の句
手まくらの夢はかざしの桜哉
与謝蕪村
西行の 桜になりし 月夜かな
正岡子規
≪花見は私たちの心のルーツを感じるときでもある≫
新・心のサプリ:海原純子氏(心療内科医)
毎日新聞 2013.4.14 より
日本人は桜を見るとき、花だけを見るのでなく、そこから何かを感じているのだろう。
人生、あと何回桜を見られるのだろう。あと何回今一緒にいる家族や友人と花見ができるのだろう。こうした思い、今このひとときを大切にいとしく思う気持ちが私たちの花見にこめるのものだと感じる。
海原純子氏は東山魁夷氏の次の著書から日本人の花を美しいと思う心のうちを引用している。
【東山魁夷著:「日本人の美を求めて」より】
「花を美しいと思う心の底には、お互いの生命をいつくしみ、地上での短い存在の間に巡り合った喜びが、無意識のうちにも、感じられているに違いない」