第40回文化講演会「景勝と兼続のきずな」を聴講する・・・その2
~第40回文化講演会「景勝と兼続のきずな」を聴講する・・・その2~
内 容・・・その2
<直江兼続のドラマ化について>
・NHKのディレクターは思い切った決断をしたと思う、大したものだ。地元の皆さんの熱意と原作も良い、脚本も良かった。
<景勝と兼続について>
・これ以上ないベストカップルだ。兼続は景勝に一生仕えた。武士道精神(武士は2君に仕えず)を実施した。一生かけて、一人の主君に仕え、主君を出世させた。
・対照的な武士に藤堂 高虎がいる。10人の主君を変えることによって、初任給を4000倍にした。イチロー選手でさえ400倍というのに。
◆ 人の生き方は、善悪でなく、好き嫌いだ!
藤堂 高虎(とうどう たかとら):戦国時代から安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名。伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。何度も主君を変えた戦国武将として知られる。それは彼自身の「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という発言に表れている。築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城した
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<景勝の母・仙桃院・謙信の姉は偉かった>
・幼い頃から明るく聡明だった与六少年(兼続)を景勝の近習に取り立てる。
<謙信に学ぶ>
・景勝と兼続共に、謙信の傍で考え方、生き方を学ぶ。
<謙信の目標>
・戦国時代を収束させて、秩序ある世界(室町幕府?)を再興したい
<信長が最も畏れたのが謙信>
・謙信は利の為でなく、義のために戦った
・信長と謙信はステージが違う
・謙信に「洛中洛外図屏風」を贈る
<信長>
・信長は徹底的な合理主義で運を味方に、今川義元、斎藤龍興、朝倉義景を滅ぼし天下統一への道のりを歩む。
<少年時代から側近として仕えた景勝を支えた景勝>
・御館の乱
・朝鮮出兵に参加
・会津への移封
・直江状
・米沢建設
・本多政重を養子
・大阪冬の陣
■ 教訓:藤堂 高虎のように、この世は一つ尖がった技術がなければ、生きては行けない