「名作をポケットに『松本清張~或る”小倉日記”伝』」を観る
~「名作をポケットに『松本清張~或る”小倉日記”伝』」を観る~
「松本清張生誕100年 特集」の第3弾 2009年12月7日(火) 午後10:30~10:55放映
「名作をポケットに『松本清張~或る”小倉日記”伝』」を観る
◇ 或る”小倉日記”伝は本格的デビュー作であり、芥川賞受賞作で松本清張は四十三歳であった。
◇ 森鴎外が明治32年から明治35年までの2年十ヶ月、旧陸軍第12師団司令部の軍医部長であった小倉時代の紛失した鴎外日記の空白に迫った物語で、森鴎外研究者である実在人物・田上耕作を主人公にしている。しかし実際には熱心に調査取材していたのは、松本清張で田上耕作をモデルとした、松本清張の魂の記録と阿刀田高は解説されている。
◇恵まれない人の、多くの庶民が心の中に持っている怨念をエネルギーにして変えて行けば、おのずと道も拓ける。根底に恨みがあって、次の飛躍へ進む。これらが全作品を通して、生き方を示しているではないか、と結ばれている。
◆デビュー作はその作家の一生を示唆する事が多く、或る”小倉日記”伝はこの意味でも典型的で、・・・・・・・この後いくつもの名作で読者を楽しませ、引き込んでくれる特質がすでに、漲っている。と、書籍・朝日新書「松本清張を推理する」で解説されている。
《森鴎外の小倉での最初の住居(明治32年6月~1年半)》
・「即興詩人」等の翻訳や小説「鶏」はこの家を舞台に執筆した。
《旧陸軍第12師団司令部の正面・鉄門跡の標識》
◇森鴎外は、文芸春秋を創刊・発展させた菊池寛と佐々木茂索と共に、松本清張に影響を与えている。
◇森鴎外は明治・大正を代表する作家で旧陸軍第12師団軍医部長として、明治32年6月~明治35年3月まで小倉に勤務し、旧陸軍第12師団司令部の正面・鉄門を通って登庁している。