~「私の南極と宇宙」・・・その228~
昭和39年電気工学科卒業 芦田 成生氏寄稿
氏は、第11次・14次南極越冬隊ロケット打ち上げ実験隊に参加なされました。
「私の南極と宇宙」(その1~227まで掲載済み)。引き続いて掲載致します。
4月 5日・・・その2.
ポンペイは見る価値はあったと思う。1900年も前の町の姿が、完全に近い姿で掘り出され、道路などは轍の跡が鮮やかにきざみこまれ、今でも馬車が走っている感じである。町もそのままであれば、生きているような感じである。また、生きながら埋めこまれた人の化石があったが、髪の形から衣服の模様まではっきりと残っているのに感心した。また、紀元九年の文化の程度は高く、町は上下水道が完備し、水道の蛇口から配管まであり、しかも配管は鉛管であるということに素晴らしさを感じた。また、色々なもの、秤、海図に使うコンパス類、生活に使う食器など。当時の日本を考えると、いかに遅れていたか判る。また、銀もふんだんに使用していることは驚きである。戸の石を止めている楔に鉄のものを使っている。また、銅を板状にして使用しているし、ガラスのビン、皿等も素晴らし物がある。帰りはソレントへ行ったが、生憎雨になりさっぱり駄目だった。でもローマ(イタリア)の休日は楽しかった。また、もう一度ゆっくりと見てみたい所である。ローマは、いずれ思い切った処置をしなければ、町全体が廃墟になるような気がする。あまりに町が古すぎるからである。