新緑寒波の朝、置賜自転車道をまほろばの里へ桜を求めてのサイクリング(25)
~新緑寒波の朝、置賜自転車道をまほろばの里へ桜を求めてのサイクリング(25)~
新緑寒波の朝、置賜自転車道をまほろばの里へサイクリングする。朝6時に出発する。今朝も少し冷え込んでいるので頭と上半身は冬のゴルフの服装で、サイクリング用のパンツを穿く。残念ながら桜は旬を過ぎ散り始め葉桜に移り変わりつつある。
<まほろばの緑道&花街道>
<浜田広介記念館に立ち寄り、庭園を観賞する>
<浜田広介記念館>
2943
撮影:2013.5.5
<桜を詠んだ短歌>
願はくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
西行
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ 紀友則
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平
<桜を詠んだ句>
さまざまな事 思い出す 桜かな
松尾芭蕉
よるとしや 桜のさくも 小うるさき
小林一茶
散る桜 残る桜も 散る桜
良寬和尚の辞世の句
≪花見は私たちの心のルーツを感じるときでもある≫
新・心のサプリ:海原純子氏(心療内科医)
毎日新聞 2013.4.14 より
日本人は桜を見るとき、花だけを見るのでなく、そこから何かを感じているのだろう。
人生、あと何回桜を見られるのだろう。あと何回今一緒にいる家族や友人と花見ができるのだろう。こうした思い、今このひとときを大切にいとしく思う気持ちが私たちの花見にこめるのものだと感じる。
海原純子氏は東山魁夷氏の次の著書から日本人の花を美しいと思う心のうちを解き明かしている。
【東山魁夷著:「日本人の美を求めて」より】
「花を美しいと思う心の底には、お互いの生命をいつくしみ、地上での短い存在の間に巡り合った喜びが、無意識のうちにも、感じられているに違いない」