米沢から発信・・米沢の四季ほか
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2019年 10月 30日
子曰わく、・・・為政第ニ、論語抄・12
君子は周して比せず。
小人は比して周せず。
❝足利学校の歴史❞
諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。
<入徳門>
足利学校に入る最初の門で、 寛文8年(1668)の創建ですが、 天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、 同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に 移転修築したと伝えられています。
<孔子像> <学校門>
足利学校に入る2番目の門で、 寛文8年(1668)の創建。 足利学校のシンボルとして、 江戸、明治、大正、昭和そして平成へと 継承されています。
<杏壇門> 足利学校に入る3番目の門で、 寛文8年(1668)の創建。 明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。
杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。
<孔子坐像>
孔子が言った。
君子は、
周する(差別なく、誰とも、ひろく公平に交
わる)が、
決して比する
(片よって交わる)ことはない。
それに対して、
小人は、その逆である。
論語抄 史跡足利学校より
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
by ykkyy
| 2019-10-30 06:15
| 教育・道徳・論語・勅語
|
Trackback
|
Comments(0)
|