米沢より愛をこめて・・
ykkyy.exblog.jp

米沢から発信・・米沢の四季ほか
カテゴリ
全体
敬愛と感謝をこめて
大学&工業会の温故知新
エッセイ・日記
お弁当、昼食、夕食
学ぶ・知るを楽しむ
語りかける花・はな・ハナ
工業会トピックス
母校トピックス
孫育て・子育て
重要文化財・旧米沢高等工業学校名誉館長
帝人
菅原和雄氏ご寄付の近代文明機器
桜&若葉
EV・FCV(燃料電池車)、次世代乗り物
AI、フィンテック&頭・脳・心、IoT
ユーモア、アイロニー、ウィット
この世を生きる言葉の旅
俳句・短歌・川柳
社会・企業が求める人財像
青春
人情の機微
次世代を担う後輩へ
好きな言葉
米沢賛美
セレンディピティーについて
旅・温泉・海・山・高原
美味いもの
大学情報・秋入学
紅葉・黄葉
100周年記念会館建設
百周年記念会館
コミュニケーション
さくらんぼ、メロン&特産品
石碑 文学の道
創造力
お気に入りの風景
教育・道徳・論語・勅語
伊勢神宮・鳥羽・紀伊
東京名所・東京スカイツリー
大阪・神戸・広島・呉
小説を読んで
京都・奈良
大宰府、宇佐、神社・仏閣
まちづくり・地元の話題
南極と宇宙
ホテルの窓から庭からの風景
雲、雨、天気
ホテル&旅館の朝食・昼食
健康・安全
楽しことはいろいろ
政治
地球環境
城、公園&文化・観光施設
光、照明、明かり、灯かり
幸福
科学
映画
雲海線、水平線、湖水線、地平線
有機EL・ロボット・バイオ
名古屋・東海地方
教育・道徳・論語・勅語
東北の市町村
四国
グローバル化
連絡
大学・学校の建築
落語
博物館、美術館、文化財、建築物、構造物、
吉本隆明
未分類
以前の記事
最新のコメント
お忙しい中でも丁寧にご説..
by ありがとうございました! at 21:26
>ダリア園 水不足が影..
by 名無しの市民 at 03:54
山崎名誉館長様 昨日(..
by 菅野昭義 at 08:27
Whoa lots..
by Gerrylok at 03:59
山崎理事長さま、 本日..
by 樋口 at 19:43
先日はご案内頂き有難うご..
by 赤澤誠司 at 13:17
ブログ拝見させていただき..
by dokuritsusite at 11:43
管理人さま  中野..
by 中野 at 16:19
わたくしたちが製作させて..
by 山口 at 20:07
懐かしくブログ拝見しまし..
by しみず公園に住んでいた者 at 21:29
検索
ブログパーツ
0円ではじめる健康法
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
カテゴリ:教育・道徳・論語・勅語( 54 )
どんな問題も心の中に青春があれば、解決する
~どんな問題も心の中に青春があれば、解決する~

c0075701_10304389.jpg

c0075701_10193357.jpg
安藤忠雄さん パリで展覧会での講演会で訴える。
c0075701_20022943.jpg
人生に希望持ってもらえるよう!

 日本を代表する建築家、安藤忠雄さんの展覧会がフランスのパリで始まるのを前に、安藤さんによる講演が行われ、大勢のファンが詰めかけました。


 展覧会は、フランスで開催されている日本文化を紹介する行事「ジャポニスム2018」に合わせて10日からパリで開かれるもので、安藤さんが設計した「光の教会」の模型や作品の設計図など160点が展示されます。

展覧会を前に8日、パリで安藤さんの講演会が開かれ、用意された300席に座りきれないほどの人が集まりました。

 安藤さんは、建築の専門の教育を受けずに建築家になったことや、大病を患いながらも創作を続けていることを語り、「どんな問題が起きても前を向き、心の中に青春さえあれば解決すると思ってください」と訴えました。

 安藤さんは「展示を見た人に、人生に希望を持ってもらえるような展覧会にしたい」と抱負を話していました。


NHK NEWS WEB 2018.10.9 ニュースより

<青春の詩碑> 
c0075701_7203538.jpg

<青春の詩碑>
c0075701_7253414.jpg

c0075701_13405876.jpg

  

 青  春
      原作 サミュエル・ウルマン
      邦訳 岡 田 義 夫


青春とは人生のある期間を言うのではなく
心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心
こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚の皺を増すが
情熱を失う時に精神はしぼむ。


苦悶や、狐疑や、不安。恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であるうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、
その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、
事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、
人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、 失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、
悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、
この時こそ人は全くに老いて、
神の憐れみを乞うる他はなくなる。

 
c0075701_17173480.jpg

 
    “ YOUTH ”


 Youth is not a time of life ― it is a state of
mind ; it is a temper of the will, a quality of
the imagination, a vigor of the emotions,
a predominance of courage over timidity,
of the appetite for adventureover love of ease.

 Nobody grows old by merely living a number of years ;
people grow old only by deserting their ideals.
Years wrinkle the skin,
but to give up enthusiasmwrinkles the soul.
Worry, doubt, self‐distrust,fear and despair
― these are the long, long years
that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every
being's heart the love of wonder,
the sweet amazement at the stars and the starlike things
andthoughts, the undaunted challenge of events,
theunfailing childlike appetite for what next,
and the joy and the game of life.

You are as young as your faith, as old as your
doubt ; as young as your self‐confidence, as old as
your fear, as young as your hope, as old as your
despair.

So long as your heart receives messages of beauty,
cheer, courage, grandeur and power from the earth,
from man and from the Infinite, so long you are young. 

When the wires are all down and all the central
place of your heart is covered with the snows of
pessimism and the ice of cynicism, then you are
grown old indeed and may God have mercy on your
soul.
                                                                                      Samuel Ullman


にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

by ykkyy | 2018-10-09 12:10 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
貧しくして怨むこと無きは難く
子曰わく、

貧しくして怨むこと無きは難く、

富て驕ること無きは易し。


❝足利学校の歴史❞

 諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。

   
c0075701_925067.jpg

            

         <入徳門>

足利学校に入る最初の門で、
寛文8年(1668)の創建ですが、
天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、
同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に
移転修築したと伝えられています。

c0075701_20113836.jpg

          
<孔子像>
c0075701_20113959.jpg
          <学校門>

足利学校に入る2番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
足利学校のシンボルとして、
江戸、明治、大正、昭和そして平成へと
継承されています。


≪学校門をバックに及第証を掲げる孫≫
足利学校 全国論語研究会の素読吟味(※)にて及第
※:論語の暗唱テスト
2014年 小学1年生 1回目及第
2015年 
小学2年生 富士山登頂
2016年 小学3年生 2回目及第(下記写真)
2017年 小学4年生 3回目及第(下記写真)により論語博士を受領

<2回目及第>

c0075701_2302537.jpg


c0075701_2302086.jpg
<3回目及第し、晴れて論語博士>
博士証書は後日、東部小学校で校長?より受領
c0075701_06115766.jpg
c0075701_06112766.jpg
c0075701_06112010.jpg

<杏壇門>
足利学校に入る3番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。

杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。

c0075701_238888.jpg
<孔子坐像>

c0075701_20122397.jpg

孔子が言った。

貧乏な生活の中で、

何をも怨むことのない人物に

なることは、難しいことだ。

それに比べれば、裕福でありながら、

おごりたかぶるような人物には

ならないようにすることは、

たやすいことだろう。
論語抄 史跡足利学校より



≪素読吟味(論語の暗唱テスト)を

孫が受験≫
c0075701_2283837.jpg
史跡足利学校発行の『論語抄』の中から5章を暗唱していただきます。できた方には「及第証」を差し上げます。
また、素読吟味を3度以上及第(合格)した方には、「論語素読博士」の称号を授与します。
1.実施日:平成28年8月11日(木)午前10時~
2.会 場:史跡足利学校 書院
3.対 象:小学生・中学生

≪孫が暗唱した『論語抄』の中からの5章≫

平成29年論語素読博士を受領した際の暗唱テストで選んだ5章。

c0075701_2222244.jpg


c0075701_2239227.jpg

c0075701_22384852.jpg

c0075701_22381223.jpg

c0075701_22374419.jpg

c0075701_2237947.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ
by ykkyy | 2018-03-07 19:36 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
司馬牛、君子を問う

司馬牛、君子を問う。

子の曰わく、君子は憂えず、懼(おそ)れず、と。

曰わく、憂えず、懼れず、斯(こ)れ之を

君子と謂うべきか、と。

子曰わく、内に省みて疚(やま)しからずんば、

夫(そ)れ名にをか憂え何をか懼れん、と。

❝足利学校の歴史❞

 諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。

   
c0075701_925067.jpg

            

         <入徳門>

足利学校に入る最初の門で、
寛文8年(1668)の創建ですが、
天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、
同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に
移転修築したと伝えられています。

c0075701_20113836.jpg

          
<孔子像>
c0075701_20113959.jpg
          <学校門>

足利学校に入る2番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
足利学校のシンボルとして、
江戸、明治、大正、昭和そして平成へと
継承されています。


≪学校門をバックに及第証を掲げる孫≫
足利学校 全国論語研究会の素読吟味(※)にて及第
※:論語の暗唱テスト
2014年 小学1年生 1回目及第
2015年 
小学2年生 富士山登頂
2016年 小学3年生 2回目及第(下記写真)
2017年 小学4年生 3回目及第(下記写真)により論語博士を受領

<2回目及第>

c0075701_2302537.jpg


c0075701_2302086.jpg
<3回目及第し、晴れて論語博士>
博士証書は後日、東部小学校で校長?より受領
c0075701_06115766.jpg
c0075701_06112766.jpg
c0075701_06112010.jpg

<杏壇門>
足利学校に入る3番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。

杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。

c0075701_238888.jpg
<孔子坐像>

c0075701_20122397.jpg
門人の司馬牛が、

君子とはどのような人物であるかと尋ねた。

孔子は答えた。

「何事にも憂えず、何事にも恐れないのが君子である。」と。

さらに司馬牛が尋ねた。

「それだけで君子と言えるのか。」と。

孔子は答えた。

「自分自身の心に、うしろ暗いものがなければ、

何事をも憂えたり、恐れたりすることはないのではないか。と。」


論語抄 史跡足利学校より



≪素読吟味(論語の暗唱テスト)を

孫が受験≫
c0075701_2283837.jpg
史跡足利学校発行の『論語抄』の中から5章を暗唱していただきます。できた方には「及第証」を差し上げます。
また、素読吟味を3度以上及第(合格)した方には、「論語素読博士」の称号を授与します。
1.実施日:平成28年8月11日(木)午前10時~
2.会 場:史跡足利学校 書院
3.対 象:小学生・中学生

≪孫が暗唱した『論語抄』の中からの5章≫
平成29年論語素読博士を受領した際の暗唱テストで選んだ5章。

c0075701_2222244.jpg


c0075701_2239227.jpg

c0075701_22384852.jpg

c0075701_22381223.jpg

c0075701_22374419.jpg

c0075701_2237947.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

by ykkyy | 2018-03-06 16:38 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
已(や)んぬるかな
子曰わく、

已(や)んぬるかな

吾未だ能く其の過ちを見て、

内に自ら
訟むる者を見ざるなり。

❝足利学校の歴史❞

 諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。

   
c0075701_925067.jpg

            

         <入徳門>

足利学校に入る最初の門で、
寛文8年(1668)の創建ですが、
天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、
同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に
移転修築したと伝えられています。

c0075701_20113836.jpg

          
<孔子像>
c0075701_20113959.jpg
          <学校門>

足利学校に入る2番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
足利学校のシンボルとして、
江戸、明治、大正、昭和そして平成へと
継承されています。


≪学校門をバックに及第証を掲げる孫≫
足利学校 全国論語研究会の素読吟味(※)にて及第
※:論語の暗唱テスト
2014年 小学1年生 1回目及第
2015年 
小学2年生 富士山登頂
2016年 小学3年生 2回目及第(下記写真)
2017年 小学4年生 3回目及第(下記写真)により論語博士を受領

<2回目及第>

c0075701_2302537.jpg


c0075701_2302086.jpg
<3回目及第し、晴れて論語博士>
博士証書は後日、東部小学校で校長?より受領
c0075701_06115766.jpg
c0075701_06112766.jpg
c0075701_06112010.jpg

<杏壇門>
足利学校に入る3番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。

杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。

c0075701_238888.jpg
<孔子坐像>

c0075701_20122397.jpg


孔子が言った。

世も末じゃ。

私はこれまで、

自分の過失を自覚して、しかも、

自分の心の中で、自分をせめる者を、

見たことがないのだ。


論語抄 史跡足利学校より



≪素読吟味(論語の暗唱テスト)を

孫が受験≫
c0075701_2283837.jpg
史跡足利学校発行の『論語抄』の中から5章を暗唱していただきます。できた方には「及第証」を差し上げます。
また、素読吟味を3度以上及第(合格)した方には、「論語素読博士」の称号を授与します。
1.実施日:平成28年8月11日(木)午前10時~
2.会 場:史跡足利学校 書院
3.対 象:小学生・中学生

≪孫が暗唱した『論語抄』の中からの5章≫
平成29年論語素読博士を受領した際の暗唱テストで選んだ5章。

c0075701_2222244.jpg


c0075701_2239227.jpg

c0075701_22384852.jpg

c0075701_22381223.jpg

c0075701_22374419.jpg

c0075701_2237947.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

by ykkyy | 2018-02-25 12:43 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
厩焚けたり

厩焚けたり、

子、朝より退きて曰く、

人を傷(そこ)なえりや、と、

馬を問わず。


❝足利学校の歴史❞

 諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。

   
c0075701_925067.jpg

            

         <入徳門>

足利学校に入る最初の門で、
寛文8年(1668)の創建ですが、
天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、
同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に
移転修築したと伝えられています。

c0075701_20113836.jpg

          
<孔子像>
c0075701_20113959.jpg
          <学校門>

足利学校に入る2番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
足利学校のシンボルとして、
江戸、明治、大正、昭和そして平成へと
継承されています。


≪学校門をバックに及第証を掲げる孫≫
足利学校 全国論語研究会の素読吟味(※)にて及第
※:論語の暗唱テスト
2014年 小学1年生 1回目及第
2015年 
小学2年生 富士山登頂
2016年 小学3年生 2回目及第(下記写真)
2017年 小学4年生 3回目及第(下記写真)により論語博士を受領

<2回目及第>

c0075701_2302537.jpg


c0075701_2302086.jpg
<3回目及第し、晴れて論語博士>
博士証書は後日、東部小学校で校長?より受領
c0075701_06115766.jpg
c0075701_06112766.jpg
c0075701_06112010.jpg

<杏壇門>
足利学校に入る3番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。

杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。

c0075701_238888.jpg
<孔子坐像>

c0075701_20122397.jpg
ある時、孔子の家の馬屋が焼けた。

役所から帰った孔子は尋ねた。

「人に怪我はなかったか」と。

その場では馬については尋ねなかった。

(孔子は人間を第一に考える人であった)




論語抄 史跡足利学校より



≪素読吟味(論語の暗唱テスト)を

孫が受験≫
c0075701_2283837.jpg
史跡足利学校発行の『論語抄』の中から5章を暗唱していただきます。できた方には「及第証」を差し上げます。
また、素読吟味を3度以上及第(合格)した方には、「論語素読博士」の称号を授与します。
1.実施日:平成28年8月11日(木)午前10時~
2.会 場:史跡足利学校 書院
3.対 象:小学生・中学生

≪孫が暗唱した『論語抄』の中からの5章≫

平成29年論語素読博士を受領した際の暗唱テストで選んだ5章。

c0075701_2222244.jpg


c0075701_2239227.jpg

c0075701_22384852.jpg

c0075701_22381223.jpg

c0075701_22374419.jpg

c0075701_2237947.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ
by ykkyy | 2018-02-20 21:14 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
剛毅木訥は仁に近し
子曰わく、

剛毅木訥は仁に近し。

❝足利学校の歴史❞

 諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。

   
c0075701_925067.jpg

            

         <入徳門>

足利学校に入る最初の門で、
寛文8年(1668)の創建ですが、
天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、
同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に
移転修築したと伝えられています。

c0075701_20113836.jpg

          
<孔子像>
c0075701_20113959.jpg
          <学校門>

足利学校に入る2番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
足利学校のシンボルとして、
江戸、明治、大正、昭和そして平成へと
継承されています。


≪学校門をバックに及第証を掲げる孫≫
足利学校 全国論語研究会の素読吟味(※)にて及第
※:論語の暗唱テスト
2014年 小学1年生 1回目及第
2015年 
小学2年生 富士山登頂
2016年 小学3年生 2回目及第(下記写真)
2017年 小学4年生 3回目及第(下記写真)により論語博士を受領

<2回目及第>

c0075701_2302537.jpg


c0075701_2302086.jpg
<3回目及第し、晴れて論語博士>
博士証書は後日、東部小学校で校長?より受領
c0075701_06115766.jpg
c0075701_06112766.jpg
c0075701_06112010.jpg

<杏壇門>
足利学校に入る3番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。

杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。

c0075701_238888.jpg
<孔子坐像>

c0075701_20122397.jpg

孔子が言った。

剛(私心がなく、無欲なこと)、

毅(意志が強く、思いきりのよいこと)、

木(=撲、ありのまゝで飾り気のないこと)、

訥(口べたであること)

なる人物は、

学徳ともにすぐれた仁者に、ほど近い。

論語抄 史跡足利学校より



≪素読吟味(論語の暗唱テスト)を

孫が受験≫
c0075701_2283837.jpg
史跡足利学校発行の『論語抄』の中から5章を暗唱していただきます。できた方には「及第証」を差し上げます。
また、素読吟味を3度以上及第(合格)した方には、「論語素読博士」の称号を授与します。
1.実施日:平成28年8月11日(木)午前10時~
2.会 場:史跡足利学校 書院
3.対 象:小学生・中学生

≪孫が暗唱した『論語抄』の中からの5章≫

平成29年論語素読博士を受領した際の暗唱テストで選んだ5章。

c0075701_2222244.jpg


c0075701_2239227.jpg

c0075701_22384852.jpg

c0075701_22381223.jpg

c0075701_22374419.jpg

c0075701_2237947.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ
by ykkyy | 2018-02-19 18:13 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
中庸の徳為(た)るや
子曰わく、

中庸の徳為(た)るや、

其れ至れるかな。

民鮮(すくな)きこと久し。

❝足利学校の歴史❞

 諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。

   
c0075701_925067.jpg

            

         <入徳門>

足利学校に入る最初の門で、
寛文8年(1668)の創建ですが、
天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、
同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に
移転修築したと伝えられています。

c0075701_20113836.jpg

          
<孔子像>
c0075701_20113959.jpg
          <学校門>

足利学校に入る2番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
足利学校のシンボルとして、
江戸、明治、大正、昭和そして平成へと
継承されています。


≪学校門をバックに及第証を掲げる孫≫
足利学校 全国論語研究会の素読吟味(※)にて及第
※:論語の暗唱テスト
2014年 小学1年生 1回目及第
2015年 
小学2年生 富士山登頂
2016年 小学3年生 2回目及第(下記写真)
2017年 小学4年生 3回目及第(下記写真)により論語博士を受領

<2回目及第>

c0075701_2302537.jpg


c0075701_2302086.jpg
<3回目及第し、晴れて論語博士>
博士証書は後日、東部小学校で校長?より受領
c0075701_06115766.jpg
c0075701_06112766.jpg
c0075701_06112010.jpg

<杏壇門>
足利学校に入る3番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。

杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。

c0075701_238888.jpg
<孔子坐像>

c0075701_20122397.jpg

孔子が言った。

中庸(常に、公平で、過不足や、上下左右のかたよりのない、)

最高の徳性が、人々の心の中から、

無くなってから久しくなった。


論語抄 史跡足利学校より



≪素読吟味(論語の暗唱テスト)を

孫が受験≫
c0075701_2283837.jpg
史跡足利学校発行の『論語抄』の中から5章を暗唱していただきます。できた方には「及第証」を差し上げます。
また、素読吟味を3度以上及第(合格)した方には、「論語素読博士」の称号を授与します。
1.実施日:平成28年8月11日(木)午前10時~
2.会 場:史跡足利学校 書院
3.対 象:小学生・中学生

≪孫が暗唱した『論語抄』の中からの5章≫

平成29年論語素読博士を受領した際の暗唱テストで選んだ5章。

c0075701_2222244.jpg


c0075701_2239227.jpg

c0075701_22384852.jpg

c0075701_22381223.jpg

c0075701_22374419.jpg

c0075701_2237947.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ
by ykkyy | 2018-02-17 15:50 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
故きを温ねて 新しきを知らば
子曰わく、

故きを温ねて

新しきを知らば、

以て師為るべし。

❝足利学校の歴史❞

 諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。

   
c0075701_925067.jpg

            

         <入徳門>

足利学校に入る最初の門で、
寛文8年(1668)の創建ですが、
天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、
同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に
移転修築したと伝えられています。

c0075701_20113836.jpg

          
<孔子像>
c0075701_20113959.jpg
          <学校門>

足利学校に入る2番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
足利学校のシンボルとして、
江戸、明治、大正、昭和そして平成へと
継承されています。


≪学校門をバックに及第証を掲げる孫≫
足利学校 全国論語研究会の素読吟味(※)にて及第
※:論語の暗唱テスト
2014年 小学1年生 1回目及第
2015年 
小学2年生 富士山登頂
2016年 小学3年生 2回目及第(下記写真)
2017年 小学4年生 3回目及第(下記写真)により論語博士を受領

<2回目及第>

c0075701_2302537.jpg


c0075701_2302086.jpg
<3回目及第し、晴れて論語博士>
博士証書は後日、東部小学校で校長?より受領
c0075701_06115766.jpg
c0075701_06112766.jpg
c0075701_06112010.jpg

<杏壇門>
足利学校に入る3番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。

杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。

c0075701_238888.jpg
<孔子坐像>

c0075701_20122397.jpg

孔子が言った。

過去のことを考え究め、

それを取捨し、

選択したものをもとにして、

現在及び未来のことを考える、

そうした考え方をする人は、

他の模範となり得る人である。

(伝統にばかりこだわると頑固にすぎる。過去を否定し、新しいことばかりにこだわると、時流に流される。)

論語抄 史跡足利学校より


小林秀雄(文芸評論家、編集者、作家)の解釈

「伝統とは放置しても継続するものでなく、こちらが何もせずともそこにあるものでもなく、過去の中から救い出して獲得しなければならないものである」 

c0075701_09504630.png
≪素読吟味(論語の暗唱テスト)を孫が受験≫
c0075701_2283837.jpg
史跡足利学校発行の『論語抄』の中から5章を暗唱していただきます。できた方には「及第証」を差し上げます。
また、素読吟味を3度以上及第(合格)した方には、「論語素読博士」の称号を授与します。
1.実施日:平成28年8月11日(木)午前10時~
2.会 場:史跡足利学校 書院
3.対 象:小学生・中学生

≪孫が暗唱した『論語抄』の中からの5章≫

平成29年論語素読博士を受領した際の暗唱テストで選んだ5章。

c0075701_2222244.jpg


c0075701_2239227.jpg

c0075701_22384852.jpg

c0075701_22381223.jpg

c0075701_22374419.jpg

c0075701_2237947.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ
by ykkyy | 2018-02-16 09:36 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
人、遠き慮り無ければ
子曰わく、

人、遠き慮り無ければ

必ず近き憂い有り。

❝足利学校の歴史❞

 諸説がありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、痒主(学長)制度を設けるなどして学校を再建したころからです。
 鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵は、長亨元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸国から学徒が集り学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文十八(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」といわれるほどになりました。

   
c0075701_925067.jpg

            

         <入徳門>

足利学校に入る最初の門で、
寛文8年(1668)の創建ですが、
天保2年(1831)鑁阿寺安養院の火災により焼失、
同11年(1840)頃修築。その後明治の中頃に
移転修築したと伝えられています。

c0075701_20113836.jpg

          
<孔子像>
c0075701_20113959.jpg
          <学校門>

足利学校に入る2番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
足利学校のシンボルとして、
江戸、明治、大正、昭和そして平成へと
継承されています。


≪学校門をバックに及第証を掲げる孫≫
足利学校 全国論語研究会の素読吟味(※)にて及第
※:論語の暗唱テスト
2014年 小学1年生 1回目及第
2015年 
小学2年生 富士山登頂
2016年 小学3年生 2回目及第(下記写真)
2017年 小学4年生 3回目及第(下記写真)により論語博士を受領

<2回目及第>

c0075701_2302537.jpg


c0075701_2302086.jpg
<3回目及第し、晴れて論語博士>
博士証書は後日、東部小学校で校長?より受領
c0075701_06115766.jpg
c0075701_06112766.jpg
c0075701_06112010.jpg

<杏壇門>
足利学校に入る3番目の門で、
寛文8年(1668)の創建。
明治25年(1892)に、町の大火飛び火により屋根門扉が焼け、同三十年代に再建。

杏壇:孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来しています。

c0075701_238888.jpg
<孔子坐像>

c0075701_20122397.jpg

孔子が言った。

我々人間において、時間的にも、空間的にも、

遠く、広く、しかも深い気配りをしなかったなら、

必ずや、

身近かに憂いごとが起こるものである。


論語抄 史跡足利学校より



≪素読吟味(論語の暗唱テスト)を

孫が受験≫
c0075701_2283837.jpg
史跡足利学校発行の『論語抄』の中から5章を暗唱していただきます。できた方には「及第証」を差し上げます。
また、素読吟味を3度以上及第(合格)した方には、「論語素読博士」の称号を授与します。
1.実施日:平成28年8月11日(木)午前10時~
2.会 場:史跡足利学校 書院
3.対 象:小学生・中学生

≪孫が暗唱した『論語抄』の中からの5章≫

平成29年論語素読博士を受領した際の暗唱テストで選んだ5章。

c0075701_2222244.jpg


c0075701_2239227.jpg

c0075701_22384852.jpg

c0075701_22381223.jpg

c0075701_22374419.jpg

c0075701_2237947.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ
by ykkyy | 2018-02-15 09:17 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)
「君子は器ならず」の渋沢栄一の解釈
~「君子は器ならず」の渋沢栄一の解釈~

「君子というのは、特定の用途だけに役立つ道具のような人間ではあってはならない」
という解釈に続いて、以下の講義が加えられている。

 孔子は、地位のある立派な人間は器、つまり道具のようなものではない、道具を使う側の人であると述べられている。つまり徳を治めた者が人を使う人間、技術や専門知識を修めたものが、人に使われる人間ということだ。

≪明治維新の三傑の一人、「西郷隆盛候」についての観察≫

 西郷隆盛候(参議、陸軍大将)は、とても見識のある方で、「道具でない」ひとに相違なかった。ただ同じ「道具でない」と言っても、大久保利通侯(内務卿、贈右大臣)とはかなり異なった所があった。一言で言えば、すこぶる親切で同情心が深い、一見して懐かしさを感じられるようなお人柄だった。いつもはとても寡黙で、めったにお話をなさらない方である。外側から見ただけで果たして偉い人であるのか、それとも鈍い人であるのか、ちょっと解らなかったものである。賢いとか愚かとかを超越した、まさに将軍を指揮する大人物の趣があった。(『渋沢栄一の「論語講義」』、平凡社新書

実践論語塾 安岡定子著 ポプラ社より引用

c0075701_11561967.jpg

c0075701_11561077.jpg

c0075701_1156478.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログへにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 米沢情報へにほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へにほんブログ村 シニア日記ブログへブログランキング・にほんブログ村へ
by ykkyy | 2018-02-13 07:57 | 教育・道徳・論語・勅語 | Trackback | Comments(0)